ホザナ会11回 神の家族とは

さて、イエスの母と兄弟たちがやって来て、外に立ち、人を送ってイエスを呼んだ。

大勢の人がイエスを囲んで座っていた。彼らは「ご覧ください。あなたの母上と兄弟姉妹方が、あなたを捜して外に来ておられます」と言った。

すると、イエスは彼らに答えて「わたしの母、わたしの兄弟とはだれでしょうか」と言われた。

そして、ご自分の周りに座っている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟です。だれでも神のみこころを行う人、その人がわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」(マルコの福音書3:31~35)

イエスの家族

31節で、イエスの家族がやってきたとあります。母と兄弟たちと書かれていますね。21節にイエスの身内のものたちと書かれていますが、多分同じ人たちでしょう。イエスがおかしくなったと聞いて連れ戻しに出かけたわけですね。話は個々で中断していて、その続きが31節になるというわけでしょう。

話は、少し脱線しますが、イエスの兄弟の名前も聖書には書かれています。マルコ6章には、

「この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。(マルコの福音書6:3)」と書かれています。

これは、当然文字通り、イエスの弟妹考えるのが自然ですね。イエス様は、聖霊によって、処女マリアから生まれましたが、その後、ヨセフとマリアから生まれた弟、妹たちがいたと言うことです。カトリックとか、正教会とかだと、彼らはいとこだったとか、ヨセフの連れ子だったとか、主張しているらしいですが、かなり無理があります。

ちなみにここに出てくるヤコブは、使徒15章に出てくるヤコブです。復活の後、信仰を持ち、エルサレム教会の指導者となったようです。

家族を大事にしない?

前回も少し触れましたが、イエスの家族たちが心配したのも理解できる事柄ですね。心配して、遠くから来てくれたのだから、あってあげるのが当然と思うのですが、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれでしょうか」と突き放しています。

福音書のイエス様は、なぜか家族に冷たいというような印象を受けませんか。ヨハネの2章では、お母さんのマリアに向かって、『女の方、あなたは私と何の関係がありますか。』なんて言っているのですね。

さらにもっと厳しい言葉も述べています。

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。

わたしは、人をその父に、娘をその母に、嫁をその姑に逆らわせるために来たのです。

そのようにして家の者たちがその人の敵となるのです。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。

自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。(マタイの福音書10:34)」

「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。(ルカの福音書14:26)」

こんな言葉だけを読んでいると、キリスト教は、家族を大事にしないんだというような誤解を招くかも知れません。聖書は、一部分だけでなく、全体を見る必要がありますね。

親孝行は、東西共通

聖書でも、もちろん、親を大事にするようにと命じています。モーセを通して与えられた十戒がありますが、これは聖書の中でも大切な教えですね。その十戒、10の命令は、最初に神に関する命令、後半は人間に関する命令です。その人間に関する命令の最初の命令が、「父と母を敬え。」なのです。ここを開いてみましょう。

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。(出エジプト記20:12 )

人間に関する命令の最初であり、しかも理由付きです。とても大事にするべき教えだと言うことがわかるでしょう。

親孝行しなさい。これは、古今東西共通の教えのような気がします。特に儒教では重んじられていました。ちょっと脱線になりますが、儒教の中心的な教えは、忠と考です。

忠とは、主君に忠実でありなさいと言うこと、考とは親孝行しなさいという意味ですね。日本では、主君への忠義が優先されるような面もありますが、韓国では、親孝行の方が最優先なようです。

子どもを愛しなさいという命令はない?

子どもを愛しなさいなどという命令がないように思うのですが、いかがでしょうか。私が見つけきれないだけでしょうか。

その理由について、どこにも書いていないのですが、一つの理由が推測できるように思います。それは、そんなこと命令しなくても当然のことだと考えられているのではないかと言うことです。その根拠となるであろう聖書の言葉を読んでみたいと思います。

イザヤ49章の15節ですが、14節から読んでみたいと思います。

しかし、シオンは言った。「【主】は私を見捨てた。主は私を忘れた」と。「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。(イザヤ書49:14,15)

『女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。』そんなこと絶対にあるわけがないと言うことが前提になっての言葉だと思います。当然ですよね。動物でも母の子に対する愛は絶対です。

血のつながりが絶対ではない。

でも、この絶対が最近揺らいできているように思うのです。最近は、自分の子どもに対する虐待のニュースが後を絶ちません。しつけと称して、いのちまで奪ってしまう。もう聞きたくないニュースです。

でも、残念なことに報道されていることがだけが、すべてではないのです。実際にはたくさんの虐待があるようです。いわば氷山の一角と言ったところでしょうか。

しかし、虐待とか、最悪の環境で育った人々がすべて悲劇のままで終わるわけではないのです。私自身がハッピーエンドな話を求めていることもありますが、ホッとする話、感動する話もたくさん聞きます。実の親からの虐待とか、放置とか、最悪の環境の中で育った人であっても、素晴らしい出会いがあれば、運命は変わるのです。養子として引きとって育ててくれた例、面倒見ていく中で愛を育み、結ばれる例など様々ですが、血がつながっていなくても、新しい家族になって幸せになった例もたくさんあります。

問題なのは、血がつながっているかいないかでなく、そこに本当の愛があるかどうかだと思います。

私たちを神の子としてくださるために

先ほどの聖書の言葉も、家族が大切ではないといっているのではなく、血のつながっている家族よりも大切な関係があると言っているのだと思います。もう一度、イエス様の言葉に戻ってみたいと思います。

イエス様は言います。私の母、私の兄弟とは誰でしょうかと。それは、今イエスのまわりに座っている人々こそ、イエス様の家族であるというのです。

そう、みなさんや私たちも神の家族です。神は、私たちを神の家族にしようと計画されているのです。エペソ人への手紙をお読みします。

すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。(エペソ人への手紙1:4,5)

『世界の始まる前から計画されていた』なんてすごいですね。

信じることが神の神の家族となること

「でも、イエス様の家族になれるのは、神の御心を行う人でしょう。」という人もいるのではないでしょうか。とてもじゃないけれど、神の御心を行うことなんてできないと言う謙虚な人が日本には多いように思います。ヨハネの福音書では、次のように言っています。

すると、彼らはイエスに言った。「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」

イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」(ヨハネの福音書 6:28,29 )

神が遣わした者とはいうまでもなく、イエス様のことです。イエス様を信じるコトコト、神の家族となる唯一の条件なのです。ヨハネの1章では、もっとはっきりと書かれています。

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。

この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。(ヨハネ1:12,13)

この方がイエス様ですね。この方を信じるときに、私たちは、神の子とされるのです。神の家族となるのです。

このためにイエス様の十字架があったのです。

まとめ

私たちは、今家族とどんな関係にあるでしょうか。まあまあうまくいっているという人も多いでしょうね。問題もたくさんありますという人もいるでしょう。問題が全くないという人はまずいないでしょう。

どんな家族関係にある人であっても、神は呼びかけています。あなたと関係を持ちたい。あなたを家族にしたいと。

今の家族関係を断ち切る必要はありません。もっと素晴らしい神との関係が用意されているのです。

先に呼んだイザヤの言葉をもう一度読んで終わりにしたいと思います。

「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。(イザヤ書49:15)

この神とともに歩まれること、その信頼関係をますます深めていきたいと思います。

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