2016.7月 婦人会の様子

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7月の婦人会は、12日に行われました。

当チャペルの石倉さんのお話で、

「失われた人を救うために」というテーマでした。

 

 

 

 

最近、暗いニュースが多い中で、もう一ヶ月くらい前になるでしょうか、

ちょっと明るくなるニュースがありました。

それは、山の中で迷子になっていた小学2年生の男の子が

無事に見つかったというニュースです。

 

 

「迷ってしまいました」と言うことを、英語では、「I’m lost.」 というそうです。

“lost”は、“lose”つまり「失う」という単語の過去、過去分詞です。

直訳すると「私は失われている」ということになりますが、

道に迷ったりする時に使うようです。

「Are you lost?」と聞けば、「迷っているのですか」ということになるそうです。

 

 

聖書のルカの福音書19:10のことばです。

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

 

先ほどの英語から考えると、「失われた人」を「迷っている人」と

言い換えることも出来るでしょう。

ルカの15章には、迷子の羊を見つけて喜ぶたとえ話があります。

人でも羊でも、迷ってしまっていたら、そのままにしておくなら、

やがて永遠に失われた存在になってしまうのです。

 

イエス・キリストは、そうした迷った人々を救うために来てくださったと言っているのです。

 

 

 

みなさんは、道に迷った経験がありますか。

私もかなりの方向音痴なのですが、

自分が道に迷いやすいことを知っているので、大けがはしません。

ちょっとおかしいなと思ったら、すぐ地図を見ます。

そうすれば迷うことも少なくて済みます。

さらに、今は、タブレットの地図を使っています。

 

これは、現在位置も表示してくれるので便利です。

徳川家康の言葉とされているものに次のような言葉があります。

 

「人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。」

 

人生って楽じゃない。確かに重い荷を背負っているように感じる。

しかし、この言葉には、重大な欠点があります。

 

道を歩くのって、ゴールがあるはずですよね。

マラソンにもゴールがあります。

 

私たちは人生という道を歩いています。

しかし、どこに向かっているのでしょう。

どこから始まっているのでしょう。

どこで終わるのでしょう。

 

ゴールがどこかわからなければ、どこへ向かっていいのかわからないのではありませんか。

それがわからないなら、今どこを歩いているのかわからないですね。

今の場所がわからないなら、それこそ、私たちは迷っているのではないでしょうか。

 

 

 

失われた人とは誰のことを行っているのでしょう。

本来の姿から離れ、迷い出てしまっている時、それが失われたと言っていいでしょう。

 

外見は変わりないかもしれません。

しかし、全く使い物にならなくなってしまっているとしたら、

それは失われたものなのです。

 

書くことの出来ないペン。

座ることの出来ない椅子。

動かない時計。

エンジンのかからない自動車。

 

ものとしてはそこにあってもそれは本来の目的のために使うことが出来ないですね。

神は、呼びかけています。

 

「あなたはどこにいるのか」

 

これは、すべての人に語られているように思います。

みなさんは、これにどう答えるでしょうか。

みなさんも、迷っているのではないでしょうか。

聖書は、次のように言っています。

 

「すべての人が迷い出て、

みな、ともに無益な者となった。

善を行う人はいない。ひとりもいない。」

(ローマ人への手紙3:12)

 

聖書は、すべての人が迷い出たと告げています。

あなたも例外ではないと思います。

 

だからこそ、イエス・キリストは、失われた人々を救うために来られました。

あるべき姿から離れた存在になってしまった人、機能を失ってしまった人、

自分が何者かわからなくなってしまった人々のところへ。

 

 

 

神は、私たちに願っています。

私たちが本来あるべきところ、いるべき場所に戻ることを。

 

神と交わって始めて私たちは本来の姿になることが出来るのです。

憎しみ合い、傷つけ合うことでなく、愛し合い、助け合い、支え合うようにと。

 

神は、私たちのいるところを知っています。

 

問題は、私たちが迷っていると言うことを知らないことです。

自分の力だけで何とかしようと思っていることです。

 

 

しかし、良く道に迷う私は知っています。

最初の小さな勘違いをそのままにしておくと、どんどん大きくなることです。

最後は、本当にとんでもないところに言ってしまいます。早めに地図を見ましょう。

人生の地図とは、聖書です。

 

でも地図の見方も最初は、よくわからないはずです。

よく知っている人に尋ねましょう。

 

神は、あなたの居場所を知っています。

けれど、私たちの意思を無視して救うことはなさいません。

私たちが助けを求めるなら、神は速やかに助けてくださいます。

 

「あなたはどこにいるのか」

 

これに答えられたら迷ってなんかいないはずです。

しかし、答えられなくても、迷子とは限りません。

知っている人が身近にいれば何も知らない小さな子供でも、

親と一緒なら、何も心配しないでしょう。

今いるところがわからなくてもいいのです。

 

 

自分を守り支えてくれる存在を知っていればすぐ尋ね、

すぐ助けを求めることを。

 

神は、私たちに呼びかけられます。

「Are you lost? Can I help you?」

道に迷ったのですか。手伝いましょうか。

 

迷ったままの状態が長引けば、危険な状態になります。

是非、遠慮せず、神の申し出を受け入れようではありませんか。

 

 

 

8月の婦人会は、お休みとなります。

次回は、9月13日(火)です。

 

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