聖書が教える神様とはどんなお方ですか?
NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公の山本八重の伴侶となる新島襄(にいじま じょう)は、この聖書の言葉『初めに、神が天と地を創造した』を目にして大きな衝撃を受けたそうです。
そしてクリスチャンになり、妻の八重と共にキリスト教精神を中心に京都同志社大学の創設に心血を注いだと言われています。
それでは、新島襄と妻の八重が一生涯をかけて信じ頼った神とはどのような神でしょうか。
ここでは、3つのポイントを取り上げて考えてみたいと思います。
1つ目は、天と地を造られた創造主であるということです。
聖書には、私たちの住むこの地球は偶然に出来たのではないと書かれています。
私たち人間も長い年月をかけて進化してできたのではありません。
聖書によると、私たち人間は創造主である神によって計画と目的をもって造られた存在なのです。
聖書の神は、天と地のみならず私たち人間をも造り、命を与え、生かし、導いておられる、生ける創造主なのです。
2つ目は、神は霊的な存在であるということです。
霊的な存在であるというのは、私たちが持っているような骨や肉などの体を持っていないということです。
ですから、私たちは肉眼で神を見たり、触れたりすることができません。
3つ目は、神は愛であるということです。
旧約聖書・イザヤ書43章4節には、
『わたし(神)の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。』
と書いてあります。
神は私たち1人1人のことを、分け隔てなく、こよなく愛しておられるのです。
そして、私たちの人生を幸せで有意義なものにしたいと願っておられます。
私たち人間は、もともと神と親しく交わりの出来る者として造られました。
しかし、人間は神に背き、心と行いにおいて罪を犯す者となりました。
その結果、神と人との間に大きな深い溝が出来てしまったのです。
この溝を埋めて、神と人との架け橋になられたのがイエス・キリストなのです。
聖書に次のように書いてあります。
『御子(イエス・キリスト)は見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方(存在した方)です。』
新約聖書 コロサイ人への手紙4章15節
本来は人間の目に見えない神が、私たちのために目に見える姿をとって現われてくださいました。
イエス・キリストは人となられた神ご自身なのです。
イエス・キリストはこの地上の生涯の中で大勢の病人を癒やしたり、死人を生き返らせたりしました。
これら数々のしるしや奇跡によって、ご自身が神であり救い主であることを示されたのです。
イエス・キリストが目に見える人間の姿をとってこの世界に来てくださった目的は何でしょうか。
それは私たち1人1人がイエス・キリストを通して神の愛と計画を知り、罪の問題を解決していただき、神の愛を体験することによって、私たちが真に幸せで有意義な人生を送るようになるためなのです。
この神の御子イエス・キリストに、あなたも出会い、神の愛と計画を体験してみませんか?
心からおすすめいたします。